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2005年11月11日 (金)

警察庁記者クラブ事件(12)
醍醐聰東京大学大学院経済学研究科教授の「意見書」

 醍醐聰(だいご・さとし)東京大学大学院経済学研究科教授が舩川輝樹『週刊現代』副編集長と筆者のため、『警察庁長官等への取材制限に関する意見書――記者クラブの性格・実態と関わらせて――』(2005年9月5日付)を作成してくれ、これは東京地方裁判所民事第9部へ証拠として提出された。

 記者クラブの歴史からその弊害、「記者室」問題に関する評価まで、極めて細かく論考されている。必読だ。

警察庁長官等への取材制限に関する意見書
――記者クラブの性格・実態と関わらせて――

醍醐聰

 私はメディア論を専攻する者ではないが、本年1月のNHK職員の内部告発で発覚したNHKのETV特番(2001年1月30日放送分)への政治介入問題に関心を持ち、真相の究明とNHKの番組制作における政治からの自立を求める市民運動を続けている。その過程でジャーナリズムの本源的役割が権力対峙性にあることを痛感し、そうした問題意識からNHKはもとより、国内の組織メディア、メディア関連団体、メディア論専攻の研究者、さらには外国特派員らと議論を重ねてきた。また、メディア論の文献も渉猟してきた。

 こうした私の経験を通じて得た知見にもとづいて、本件で提起された警察庁長官等への取材制限に関する見解を述べることにする。その際には、本件と深く関わる記者クラブの性格、役割に焦点を当てることにする。

1.論点の整理

 本件の争点は、内閣府・警察庁幹部の記者会見への参加資格を、同庁記者クラブ加盟社の記者に制限することの可否である。この争点を検討するためには、記者クラブの性格をその沿革に照らして的確に理解しておくことが議論の前提になると考えられる。そこで、この意見書は、次のような順序で論を進めていくことにする。

(1)記者クラブとは、沿革的にどのような性格の組織と理解されてきたか?
(2)公共機関が記者会見への参加を、記者クラブ加盟社に制限する根拠はなにか?
 それは関係法令、当事者(日本新聞協会等)が定めた自主ルールに照らして、正当化されるのか?
(3)記者クラブの実態はどのようなものか?
 それに照らして、公共機関の取材(記者会見への参加を含む)を記者クラブ外の報道機関やジャーナリストに開放することは、メディアの役割を達成するうえでどのような意義を持っているか?

2.記者クラブの性格

2-1 生成期から戦時期までの沿革

 記者クラブの発祥は1890(明治23)年秋に帝国議会が開設されたのに伴い、『時事新報』記者らが議会の取材を当局に要求するために組織した「議会出入記者団」が始まりといわれている。その後、この記者団には加盟社が増え、「共同新聞記者倶楽部」、「同盟新聞記者倶楽部」と名称を変更したが、帝国議会開会中は全国から183社、300人以上の記者が取材に集まったという。これが現在の「国会記者会」の前身である。

 現在、各中央官庁に存在する記者クラブの前身――外務省の「霞倶楽部」、農商務省の「采女倶楽部」、陸軍省の「北斗会」、政友会の「十日会」、司法省の「司法記者倶楽部」、内務省の「大手倶楽部」、「兜会」など――も、1894(明治27)年から1910(明治43)年にかけて生まれた。

 当時、これらの組織は、まだ取材力、当局との交渉力が弱かった新聞側が共同して政府・各官庁に取材にあたり、行政府から情報を引き出す「情報公開の機関」としての役割を担ったと言われている。また、行政府側としては、取材の窓口を管理しやすく一本化し、広報活動を効率的に行うねらいがあったと見られている(以上、現代ジャーナリズム研究会編『記者クラブ』柏書房、1996年、140~141ページ参照)。

 しかし、その後、戦時下の1942年には内閣情報局の下で言論統制団体として組織された日本新聞会は「国体に関する観念を明微にし、記者の国家的使命を明確に把握し、・・・・公正廉直の者」といった「記者規程」を定めて、これを資格要件として記者資格銓衝委員会で審査をし、これに合格した者だけを取材活動に従事できる記者として登録する」という制度を採用した。ただし、「取材」といっても、情報局が特に許可を与えた記者のみが出入りできる記者室で各省が一方的に発表を行い、登録記者はそこで、ただ発表を待つに過ぎなかった。(以上、桂敬一『現代の新聞』岩波新書、1990年、34~35ページ参照)。

 これが、「戦時言論統制下の取材様式」(桂、同上書、35ページ)といえるものであったが、こうした取材・報道様式が、戦後も、取材対象である行政府のブリーフィング等をそのまま記事化する「発表ジャーナリズム」として継受されたのは興味深い。

2-2 戦後の沿革――日本新聞協会の見解の変遷を手がかりにして――

(1)1949年の日本新聞協会の方針

 敗戦後、こうした言論統制組織は否定され、日本新聞会は解散されて、あらたに新聞界の共同機関として日本新聞協会が設立された。アメリカ占領軍も、限られた報道機関が常に安定的に発表を受け取る取材様式を止めさせ、記者クラブを取材とは関係しない親睦・社交の場に変えるとともに、クラブ員以外でも自由に取材ができる仕組みに改めるよう圧力をかけた(以上、桂、前掲書、36ページ)。

 こうした占領軍の指導を受けて、日本新聞協会は1949(昭和24)年10月に「記者クラブに関する新聞協会の方針」を発表した、その中で協会は、記者会見に関する方針を定めるとともに、「記者室」と「記者クラブ」について、次のように述べている(以下、稲場豊實『記者クラブを斬る』日新報道、1978年、資料①による)。

「(イ)記者の会見 各公共機関との会見及び会議(例えば国会など)などで取材する新聞記者及び編集者に対しては、記者クラブその他新聞社側より一切制限を加えぬこととする。」
「(ロ)記者室 新聞記事取材上必要な各公共機関は記者室を作り、電話、机、椅子など記事執筆、送稿などに必要な施設を設け、全新聞社に無償且つ自由に利用させることとする。」
「(ハ)記者クラブ 記者クラブは各公共機関に配属された記者の有志が相集まり、親睦社交を目的として組織するものとし、取材上の問題には一切関与せぬこととする(従って記者クラブは一官庁につき一クラブ以上組織されることがあり得る)。記者クラブには記者室の一部を利用せしめる。」

 ここでは、①取材の場(拠点)としての「記者室」と、そこに配属された記者の親睦社交の組織としての「記者クラブ」が区別され、後者は取材上の問題に関与しないこと、②記者クラブは取材する新聞社その他の編集者に対して、取材上の制限を一切加えないこと、を謳った点が特徴である。その際、「取材上の制限」という用語が意味するところは文面上、必ずしも明確ではなく、会見等への参加を記者クラブメンバーに限るといった制限をしないという意味も含まれているのかどうか定かでなかった。

(2)1962年の日本新聞協会編集委員会の統一解釈

 その後、日本新聞協会は、1962年12月に協会内の編集委員会名で「記者クラブ問題に関する新聞協会編集委員会の統一解釈」と題する見解を発表している。

 この文書は、紳士協定(オフレコ、解禁時間)、各社間協定に関する解釈を示すことに主眼が置かれていたが、最後の第3項で、記者クラブについて次のように記している。

「3 記者クラブについて“記者クラブは各公共機関に配属された記者の有志が相集まり、親睦社交を目的として組織するものとし、取材上の問題には一切関与せぬこととする”との昭和24年10月の記者クラブに関する協会の方針を重ねて確認する。したがって報道制限を行うようなクラブだけの協定に違反したという理由で、その社が記者クラブから除名されることは不当である。ただし、クラブの親睦を害し、品位を傷つけるような行為のあった場合、そのクラブに所属する記者個人が記者クラブから除名されることはあり得る。」

(3)1970年の日本新聞協会編集委員会の方針

 日本新聞協会は、1970年11月に編集委員会名で「記者クラブに関する編集委員会の方針」と題する見解を発表している。この文書の主たる目的は、協定の可否、協定違反・紛争等の処理、異議申し立ての処理、規約改正といった記者クラブの秩序に関する申し合わせを定める点にあったが、末尾に「外国人記者に関する十社の統一方針」という見出しを付けて次のような申し合わせを定めている。

「1.外人記者が、ある記者クラブの特定の『会見』に出席して取材をしたいと申し入れてきた場合は、オブザーバーとして、出席を認めることができる。ただし、発言を許さない。
 1.外人記者がある記者クラブに入会を申し込んできたときは、特別会員としての入会を考慮してもよい。記者クラブの会員は、原則として新聞協会
加盟社の社員に限られているからである。
 1. 特別会員として入会を認めたときは、入会金と会費をとることができる。
 1.特別会員は共同記者会見に出席して質問することができるが、その場合は日本語を使用し、外国語の使用は認めない。
 1.以上の各項によらないで、外人記者が取材を申し込んできても、拒否してさしつかえない。」

 この文書では、外国人記者につき、個別の取材には出席を認めるが、発言は不可としていること、恒常的に会見に参加し発言をするには、記者クラブへ入会することを条件にしていること、が特徴といえる。

(4)2002年の日本新聞協会編集委員会の見解

 その後、日本新聞協会は編集委員会名で2002年1月に「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」(以下、「2002年見解」と略す)と題する文書を発表している。ここでは、記者クラブの性格を、1978年と1997年に編集委員会が発表した見解にも触れながら、詳しく解説しているので、これら過去の見解も併せて紹介することにしたい。

 まず、2002年見解は、記者クラブの性格について、本文と解説で次のように述べている。

「記者クラブは、公的機関などを継続的に取材するジャーナリストたちによって構成される『取材・報道のための自主的な組織』です。」
「1978(昭和53)年の『記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解』では『その目的はこれを構成する記者が、日常の取材活動を通じて相互の啓発と親睦をはかることにある』へと性格付けが一部変わった。さらに、97(平成9)年編集委員会見解では『取材拠点』と位置付けた。『親睦・社交』『相互啓発・親睦』から『取材拠点』への変化だった。
 今回、『取材・報道のための自主的な組織』とした主な理由は、<1>性格をより明確にする、<2>「記者室」との概念の混同を避ける――の二点である。
 97年の見解は、記者クラブの『性格、目的など』について、『公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする<取材拠点>として、機能的な取材・報道活動を可能にし、国民にニュースを的確、迅速に伝えることを目的とする』――と規定してきた。しかし、<取材拠点>との表現は<場>のイメージが強く、ワーキングルームとしての記者室との混同を招きやすい。
 このため、記者クラブと記者室との区別を明確にした上で、改めて『組織としての記者クラブ』を規定した。記者クラブの機能・役割は、<1>公的情報の迅速・的確な報道、<2>公権力の監視と情報公開の促進、<3>誘拐報道協定など人命・人権にかかわる取材・報道上の調整、<4>市民からの情報提供の共同の窓口――である。」

 他方で、2002年見解は、記者クラブは、より開かれた存在であるべきとして、次のように述べている。

「記者クラブは、「開かれた存在」であるべきです。日本新聞協会には国内の新聞社・通信社・放送局の多くが加わっています。記者クラブは、こうした日本新聞協会加盟社とこれに準ずる報道機関から派遣された記者などで構成されます。外国報道機関に対しても開かれており、現に外国報道機関の記者が加入するクラブは増えつつあります。」
「記者会見参加者をクラブの構成員に一律に限定するのは適当ではありません。より開かれた会見を、それぞれの記者クラブの実情に合わせて追求していくべきです。公的機関が主催する会見は、当然のことながら、報道に携わる者すべてに開かれたものであるべきです。」

 これだけでは、「記者クラブへの参加資格」と「記者会見への参加資格」の異動がわかりにくいが、この点について2002年見解は、まず、記者クラブへの参加者の範囲を次のように説明している。

「記者クラブの開放性については、97年の見解で、『可能な限り<開かれた存在>であるべきだ』とされてきた。新しい見解は、この原則を引き継いだ上で、『日本新聞協会加盟社とこれに準ずる報道機関から派遣された記者など』で構成されるとしている。記者クラブの構成については、・・・・・日本新聞協会編集委員会が取りまとめたものであり、はじめに新聞協会加盟の新聞、通信、放送各社を、次いで新聞協会に加盟していないがほとんど同じような業務をしている報道機関を『これに準ずるもの』として定義付けた。
 外国の報道機関については、すでに多くの記者クラブに加盟している実績があり『閉鎖的』との批判には当たらないと考える。外国報道機関の加盟基準としては、<1>外務省発行の外国記者証を保有する記者、<2>日本新聞協会加盟社と同様の、またはそれに準ずる報道業務を営む外国報道機関の記者――の二条件を満たしていることが望ましい。
 また、報道活動に長く携わり一定の実績を有するジャーナリストにも、門戸は開かれるべきだろう。
 報道機関やジャーナリストが、新たにクラブに加盟する場合は、それぞれの記者クラブの運営に委ねるべきで、参加形態も、常駐、非常駐、オブザーバー加盟など、それぞれのクラブの事情に応じた弾力的な運用が考えられる。」

 次に、2002年見解は記者会見への参加者の範囲について、次のように述べている。

「記者クラブが主催して行うものの一つに、記者会見があります。公的機関が主催する会見を一律に否定するものではないが、運営などが公的機関の一方的判断によって左右されてしまう危険性をはらんでいます。その意味で、記者会見を記者クラブが主催するのは重要なことです。記者クラブは国民の知る権利に応えるために、記者会見を取材の場として積極的に活用すべきです。
 記者会見参加者をクラブの構成員に一律に限定するのは適当ではありません。より開かれた会見を、それぞれの記者クラブの実情に合わせて追求していくべきです。公的機関が主催する会見は、当然のことながら、報道に携わる者すべてに開かれたものであるべきです。」

 このように、新聞協会が2002年見解で、記者クラブと記者会見への参加者の範囲を区別し、後者への参加者の範囲を前者への参加者に限定していないことを明記したことは、本件の争点を検討するうえで重要な意味を持つ。

 続いて、2002年見解は、記者室の必要性について次のように述べている。

「記者室はなぜ必要か 報道機関は、公的機関などへの継続的な取材を通じ、国民の知る権利に応える重要な責任を負っています。一方、公的機関には国民への情報開示義務と説明責任があります。このような関係から、公的機関にかかわる情報を迅速・的確に報道するためのワーキングルームとして公的機関が記者室を設置することは、行政上の責務であると言えます。常時利用可能な記者室があり公的機関に近接して継続取材ができることは、公権力の行使をチェックし、秘匿された情報を発掘していく上でも、大いに意味のあることです。
 ここで注意しなければならないのは、取材・報道のための組織である記者クラブとスペースとしての記者室は、別個のものだということです。したがって、記者室を記者クラブ加盟社のみが使う理由はありません。取材の継続性などによる必要度の違いも勘案しながら、適正な利用を図っていく必要があります。 記者室が公有財産の目的外使用に該当しないことは、裁判所の判決や旧大蔵省通達でも認められています。ただし、利用に付随してかかる諸経費については、報道側が応分の負担をすべきです。」

 つまり、2002年見解は、「取材・報道のための組織」である「記者クラブ」と、「公的機関にかかわる情報を迅速・的確に報道するためのワーキングルーム」としての「記者室」を区別し、記者クラブ加盟社のみが記者室を使う理由はないと述べているのである。また、記者室が公有財産の目的外使用に該当しないことは、裁判所の判決や旧大蔵省通達でも認められているとした上で、記者室利用に付随してかかる諸経費については、報道側が応分の負担をすべきと述べているのは、当然といえば当然のことであるが、諸経費の範囲も含め、実態がどうかは別途確かめる必要がある。

2-3 旧大蔵省管財局長通知「国の庁舎等の使用又は収益を許可する場合の基準について」の解釈

 本件の争点は、警察庁が警察庁長官あるいは内閣公安委員長の記者会見(ここでは、名目上の呼称にはとらわれず、実質的な意味で「記者会見」と表現する)への寺澤有氏と船川輝樹氏の出席・取材を拒否したことの適法性いかんであるが、これに直接関係した法令はなく、旧大蔵省管財局長通知「国の庁舎等の使用又は収益を許可する場合の基準について」(昭和33年1月7日、蔵管第1号。以下、「旧大蔵省許可基準」または「本基準」と略す)が唯一の参照規範とみなされている。

 そこで、以下では、先に見てきた記者クラブと記者室の性格に関する沿革史を踏まえながら、「旧大蔵省許可基準」の解釈を検討しておきたい。

「旧大蔵省許可基準」は、国有財産法第18条第3項で規定された「その用途又は目的を妨げない限度」の解釈を示し、この限度に該当しない場合に国の庁舎等の使用又は収益を許可することを定めたものである。

 その上で「本基準」は第2項で、国の施設の「使用又は収益」に該当しない範囲として、「日本銀行代理店のための事務室」、「司法官署における弁護士又は地方警察署員の詰所」等と並んで「新聞記者室」を挙げている。

 その場合、「旧大蔵省許可基準」は第1項(3)で、以下の場合は「行政財産の公共性、公益性に反する事項」に該当し、国有財産を使用又は許可することができないと明記している。

 イ 公序良俗に反し、社会通念上不適当であること
 ロ 特定の個人、団体の活動を行政の中立性を阻害して支援することとなること
 ハ 特定の営利活動の利用に供することが主たる目的であること
 ニ 上記のほか、使用又は収益により公共性、公益性を損なうおそれがあること

 以上、引用した本件に関連する「旧大蔵省許可基準」の規定から、次のことを指摘できる。

 一つは、本基準が国の庁舎等の使用又は収益を許可したのは「新聞記者室」であって、記者クラブ専用のスペースではないという点である。その際、記者クラブに関する業界の自主ルールといえる日本新聞協会の2002年見解によれば、前記のとおり、取材・報道のための組織である記者クラブとスペースとしての記者室は、別個のものとみなされ、記者室を記者クラブ加盟社のみが使う理由はないこと、記者会見参加者をクラブの構成員に一律に限定するのは適当でなく、公的機関が主催する会見は、報道に携わる者すべてに開かれたものであるべき、と記している点である。

 もう一つは、「新聞記者室」など、国の庁舎等の使用を「特定の個人、団体の活動を行政の中立性を阻害して支援することとなる」場合は、「行政財産の公共性、公益性に反する事項」に該当し、国有財産を使用又は許可することができないと明記している点である。

3 小括――旧大蔵省許可基準と記者クラブの沿革史を踏まえて――

 「旧大蔵省許可基準」で示された上記のような判断基準に従うと、警察庁が記者クラブ員でないことを理由に、寺澤有氏と船川輝樹氏への警察庁通行証の貸与を拒否し、その結果として、警察庁長官あるいは内閣公安委員長の記者会見への両氏の出席・取材を拒んだことは、公人たる警察庁長官の記者会見への参加・取材を、事実上、記者クラブ員に限定したに等しい。しかし、こうした制限は、「国の庁舎等の使用につき、「特定の個人、団体の活動を行政の中立性を阻害して支援すること」を意味し、「行政財産の公共性、公益性に反する事項」に該当することは明白である。

 従って、警察庁が「旧大蔵省許可基準」に基づいて、国の庁舎等を記者室として目的外使用させる際に、こうした非中立的な使用許可の処分を取り消すことが求められるのは、議論の余地がないところである。また、記者クラブ員以外の報道関係者、ジャーナリストにも記者会見への出席を許可することは日本新聞協会が公にした見解とも合致することは前記のとおりである。

 さらに、日本新聞協会の2002年見解を引くまでもなく、公的機関には国民への情報開示義務と説明責任があり、報道機関には、国民の知る権利を充足するために活動するという本源的役割に照らして取材・報道の権利と自由が与えられている。

 この点に照らせば、公共機関たる警察庁あるいは公安委員会が、特定の報道機関あるいはジャーナリストが記者会見等へ参加することを拒む行為は、法の下での平等に反すると同時に、特定の報道関係者の取材・報道の権利を奪うことをも意味する。こうした行為は、多様な報道機関、個人の取材・報道を通じて国民に多様な側面、価値観から情報が伝達され、世論形成のための判断材料が提供されることを阻害する恐れをはらむものといえる。

 よって、本件において、警察庁が寺澤、船川両氏の記者会見への参加を事実上拒否した行為は、不当・不法と判断される。

4 公共機関の取材開放の意義――記者クラブの実態を踏まえて――

 以上は、沿革史から見た記者クラブの性格、ならびに「旧大蔵省許可基準」で示された判断基準を拠り所にした本件の検討とひとまずの結論である。

 しかし、公共機関の取材(記者会見への参加を含む)を記者クラブ加盟社以外の報道機関、ジャーナリストに開放する意義を理解するには、現在の記者クラブが果たしている役割を、記者クラブの実態に照らして検証しておく必要がある。なぜなら、「記者クラブは、公権力の行使を監視するとともに、公的機関に真の情報公開を求めていく重要な役割を担っています」(日本新聞協会「2002年見解」)とか、「記者クラブは国の政策のチェックのため、省庁の内部に打ち込んだ楔といえよう」(北村肇『腐食したメディア――新聞に再生の道はあるのか――』1996年、現代人文社、116ページ)とかいった指摘はあくまでも建前論であり、記者クラブの実態はそれとはあまりにかけ離れているからである。

4-1 紙面の画一化、官報化の改革

 記者クラブの弊害として早くから指摘されてきたのは、クラブ配属の記者が、取材対象の公共機関が次々と発表する情報の処理に追われるうちに、独自取材の手間を省き、安直に当局発表の資料に頼ってしまうという点である。

 例えば、日本新聞協会が1993年11月から12月にかけて、記者クラブ加盟各社の記者から2800人を抽出(回答数1735人=62%)して実施したアンケート結果によると、現在の記者クラブ制度をどう思うか、という問いへの回答は次のとおりであった。

 ①同業他社の記者と切磋琢磨できる。 26.0%
 ②取材源との信頼関係を築きやすい。 17.7%
 ③取材源に対する監視の役割を果たしている。 15.1%
 ④多量の情報を得やすい。 34.8%
 ⑤“特オチ”を防げる。 24.8%
 ⑥画一的な報道につながりやすい。 73.7%
 ⑦独自取材をしなくなる。 37.9%
 ⑧記者の足腰が弱まる。 46.5%
 ⑨情報操作されやすい。 64.9%
 ⑩会員外の記者に対して閉鎖的だ。 51.1%
 ⑪“黒板協定”が諸悪の根源だ。 20.2%
 ⑫このなかにはない。 0.4%
 ⑬無回答 0.7%
(現代ジャーナリズム研究会編『記者クラブ』1996年、134ページ)

 これを見ると、回答をした記者の約74%が「画一的な報道につながりやすい」と答え、65%が(取材対象である公共機関によって)「情報操作されやすい」と回答しているのが注目される。

 こうなると、加盟各社の記事は公共機関の発表資料に依存して横並びの官報と化し、発表ジャーナリズムへと堕落することにならざるを得ない。これでは、権力を監視するメディアどころか、権力に管理されたメディアというほかない。

 こうしたメディアの腐食を改革するには、記者クラブ内部で報道倫理の覚醒を促すことも無論必要であるが、それ以上に実効性がある改革の方策は、記者クラブを開放して、クラブ会員外の報道機関やフリーのジャーナリストにも参入の途を与えて、公共機関取材・報道へ「競争原理」を導入することである。これによって、記者クラブ所属記者に独自取材のインセンティブを付与し、紙面の多様性をもたらすことが期待できる。こうした紙面の多様性と質の向上は、メディアによる権力の監視と市民の知る権利の充足に貢献することは間違いない。

4-2 公共機関と報道機関の癒着・談合体質の打破

 記者クラブの弊害として繰り返し、指摘されてきたのは取材する側(報道機関)とされる側(公共機関)の癒着と、そこから生まれがちな談合体質である。これについては、記者クラブに配属された経験のある第一線の記者や、記者クラブから排除されたフリーのジャーナリストから、多くの証言が提出されている。個々の事例を挙げると枚挙に暇がないが、ここでは、記者クラブに見られる日本的取材・報道様式の異様さを最も敏感に感じ取った2人の外国人ジャーナリストの指摘を紹介しておきたい。

 一人目は、1972年から89年までオランダ紙『NRCハンデルスブラット』の東アジア特派員の職に就き、1983~84年にかけて日本外国特派員協会会長を務めたカレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel van Wolfren)の指摘である。

「日本における真実の報道は、ある不愉快な制度によって組織的に妨害されている。改善の見込みはないから、もはや外科手術にようにすっぽりと取り除くしかない『記者クラブ』制度のことである。
 この制度こそがニュースと情報の管理統制において主役を演じていることを知らねばならない。記者クラブは、1945年以前の軍人と社会統制官僚の影響力が強かった時代に、戦時のプロパガンダと検閲の道具として出発した。そしてずっと、自己検閲システムのなかで最も効果的な機能を果たしつづけている。」
「記者クラブは民主国家にはふさわしくない。そこでの多くの官僚組織と記者たちとの関係は、あまりに居心地がよすぎて、記者の批判力を麻痺させてしまう。たとえば、警察の言動についてあなたが読む記事はまったく信用できないものだ。日本の権力システム内のこの強力な集団、警察に関しては、自主独立の報道が全然存在しないからだ。」
(カレル・ヴァン・ウォルフレン/篠原勝訳『人間を幸福にしない日本というシステム』1994年、毎日新聞社、306~307ページ)

 次に、大学卒業後、日本でジャーナリスト活動に入り、『フォーブス』のアジア太平洋支局長を歴任したベンジャミン・フルフォード(Benjamin Fulford)は、日本の記者クラブ制度とそこに埋没する日本の記者たちを次のように酷評している。

「記者クラブ制度は、日本メディアの閉鎖的体質の象徴として常にヤリ玉にあげられる、古くて新しい批判対象である。この排他的なシステムには、日本で取材活動を行う外国人記者たちも頭にきていて、これまでもさんざんプレッシャーをかけてきた。」
「そもそも記者クラブで行われる会見はウソが多く、意味のあるニュースはほとんど出てこない。それから、記者クラブ加盟社よりも、情報を流す政府や役所が、コントロールできないメディアの参入を極度に警戒している。」
「『知っていても書かない』が美徳として通用するのは日本くらいのものである。ジャーナリストは本来組織ではなく、個人だ。朝日です、読売です、ではなく、個人名なのである。新聞社を辞めたら、もう何もないというのなら、もはやただのサラリーマンではないか。会社の名刺がなくなったとき、私はジャーナリストですと胸を張っていえる人間が、どれほどいるか私は知らない。」
(ベンジャミン・フルフォード『日本マスコミ「臆病」の構造』増補版、宝島社、2005年、43~44、46~47ページ)

 こうした記者クラブの体質を生んだ大きな要因は、記者クラブに対する公共機関の様々な便宜供与と「官報接待」とも言われる利益供与である。

 中央、地方を問わず、公共機関に存在する記者クラブは、取材対象の官公庁から、フロアースペースを無償で借り受けているほか、事務用職員の配置、机、椅子、コピー機、応接セット、テレビ等の無償利用という便宜供与を受けている。さらに、東京都庁の記者クラブのように、各社スペースごとにキッチンのほか、2段ベッドが備え付けられた仮眠室まで無償で(税金による負担で)完備された記者クラブもある(岩瀬達也『新聞が面白くない理由』1998年、講談社、48ページ)。

 しかし、公共機関と記者クラブの親密な関係はこれにとどまらない。懇親会、支局長等の異動にあたっての送別会、餞別、接待ゴルフ等、民間企業顔負けの官報接待が全国でまかり通ってきたのが実態である。

 岩瀬達也氏が1995年5月~12月にかけて、536の全国の公共機関を対象に行ったアンケート調査によると、164の記者クラブで、官公庁等の一部または全額負担による懇親会が年数回行われ、1993年から1995年までの3年間の集計では約1億5,000万円が費やされている(岩瀬、同上書、23~24ページ)。

 自らがこうした官報接待に浸る中で、官官接待を毅然と報道できないことは明らかである。こうした公共機関と記者クラブの「親密すぎる」関係を改革するには、記者クラブの閉鎖性と情報の独占を打破し、市民の視線で公共機関を監視するジャーナリズムの参加と情報の公開が不可欠である。

 この意味でも、公共機関の取材を記者クラブの独占から開放し、官報のもたれあい、談合体質を改革することが急務といえる。

以上

略歴及び主要著書

〔略歴〕
 昭和21年 兵庫県生まれ
 昭和45年 京都大学経済学部卒業
 昭和47年 京都大学大学院経済学研究科修士課程修了
 昭和49年 京都大学大学院経済学研究科博士課程中退
 昭和49年 名古屋市立大学経済学部助手
 昭和50年 名古屋市立大学経済学部講師
 昭和53年 名古屋市立大学経済学部助教授
 昭和57年 経済学博士(京都大学)
 昭和60年 京都大学経済学部助教授
 昭和63年 東京大学経済学部助教授
 平成元年 東京大学経済学部教授
 平成8年 東京大学大学院経済学研究科教授 現在に至る
 平成2年 日本会計研究学会太田賞受賞
 平成2年 日本公認会計士協会学術賞受賞
 平成9年 公益事業学会理事
 平成10年 公益事業学会副会長(平成14年まで)
 平成10年 電気通信審議会委員(平成13年まで)
 平成10年 物価安定政策会議委員(平成14年まで)
 平成10年 東京大学評議員(平成12年まで)
 平成11年 公認会計士2次試験委員(平成14年まで)
 平成13年 情報通信審議会委員(平成15年まで)

〔専攻〕
 財務会計論

〔主な所属学会〕
 日本会計研究学会
 公益事業学会

〔主要著書・報告書〕
『大企業会計史の研究』(高寺貞男との共著)、同文舘出版、昭和54年
『公企業会計の研究』国元書房、昭和56年
『日本の企業会計』東京大学出版会、平成2年
『現代会計の構想』(田中建二との共編著)、中央経済社、平成3年
『財務会計論ガイダンス』(編著)初版、中央経済社、平成5年
『電気通信の料金と会計』(編著)、税務経理協会、平成6年
『連結会計―体系と実態―』(編著)、同文舘出版、平成7年
『時価評価と日本経済』(編著)、日本経済新聞社、平成7年
『会計学講義』初版、東京大学出版会、平成10年
『国際会計基準と日本の企業会計』(編著)、中央経済社、平成11年
『自治体財政の会計学』(編著)、新世社、平成12年
『新版 財務会計論ガイダンス』(編著)、中央経済社、平成12年 
『会計学講義』第2版、東京大学出版会、平成13年
『金融分野における市場規律を促す会計制度のあり方』平成14年10月、平成11年~12年度科学研究費補助金〔基盤研究〔C〕(2)〕研究成果報告書、課題番号11630145
『会計学講義』第3版、東京大学出版会、平成16年
『労使交渉と会計情報』白桃書房、平成17年

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