身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(14)
内部告発者の意地
2002年の『警視庁裏ガネ担当』出版後、私に、各地の弁護士や、市民オンブズマンからの接触が始まった。著書が名刺代わりになったということだろう。
折りしも2002年は、日本弁護士連合会(日弁連)が、「警察改革の検証」を標榜し、情報公開請求、警察庁や公安委員会への照会、首長へのアンケートなどを精力的に行っていた。
特に情報公開請求では、何の秘匿性もないはずの旅費や食糧費の支出文書ですら真っ黒になって開示される状況は、「警察改革」という美名とはほど遠く、各地で開示請求訴訟が提起され、また、日弁連が毎年開催する「人権擁護大会」では、その年、「警察の情報公開」が、テーマのひとつとなっていた。
そんな中、私も、講演を頼まれたり、訴訟の証人として申請されたり(裁判所は採用してくれなかったが)、訴訟用の陳述書を作成したり、会計手続きの流れや個々の文書の意味を説明したりと、アドバイザー的な役割が増えていった。
彼らが特に興味を示したのは、「捜査費」だった。私が著書の中で、「捜査上の秘密」をお題目にして、情報をまったく外に出さない「捜査費」のウラを、細かく述べていたからだろう。
私はさらに、前述の「人権擁護大会」で、「情報公開と不正経理」と題するパネルディスカッションでのパネリストを務めることとなり、それに先だって、宮城県仙台市で行われたプレシンポ(2002年8月31日)では、浅野史郎宮城県知事(当時)と同席した。
浅野氏は、当時、県警の捜査費支出に強い疑いを持っており、文書の開示や捜査員との面談を自ら県警に求め、断られ続けていた。
氏は、プレシンポでの私の発言に興味を持ったらしく、後に「直接話を聞きたい」と、東京のホテルに私を呼び、さらには、「僕は知事として何ができるのだろう?」と、電話で聞いてきたりした。
福島県郡山市で行われた「人権擁護大会」(2002年10月10日~11日)では、多くの関係者と知り合い、メディアの取材も多数受けた。私はその頃、充実感を味わっていた。
しかし、ここまでは本編の長い前振りである。実名告発から著書の出版を経て、関係者に名前が知られるようになっていくという、サクセスストーリーの様相を呈しているが、実態はまるで逆なのだ。
「ジャーナリスト」などと冠して仕事をしていても、警察の壁は厚く、内部告発で、多くの警察時代の友人を失ったこともあって、なかなか情報は入らない。
「大内? あれはメチャクチャな人間ですよ」
と関係者に吹聴する、警視庁のネガティブキャンペーンも続いていた。
一度著書を出版しても、次々に執筆依頼が来るはずもなく、1つだけあった「警察官は手当も福利厚生もおいしいぞ」という内容の文庫本の企画も、途中でポシャった。私の文字での仕事は、独自に入手した資料を、細々と『フライデー』で告発するぐらいだった。
講演やコメントなどは、収入も、たかが知れている。私には、警視庁での自分の年収900万円という金額が、途方もない数字に思えた。
しかし、私は、弁護士や市民オンブズマンの、直接自分たちの利益にならない多くの活動も知った。内部告発者が潰れることは、それこそ警察の思うつぼであり、「自分の生きた証」とするために、このような活動を始めた私としては、意地でも、これをライフワークとしなければならない。
私は、自分の軽い財布に涙しながらも、そんなことを思うのだった。
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