身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(17)
道警追及Ⅲ
釧路方面本部長まで務め上げた、原田宏二氏による裏ガネ証言(2004年2月10日の記者会見)は、道警、道民に大きな衝撃を与えたが、氏の証言は、本人も強調しているように、氏が在職していた1995年までは、裏ガネが存在したという話であり、それ以降については、何も語られていない。
そして、そのことから、道警内部では、
「あんな会見をしたら、今でも裏ガネがあるように思われてしまう」
などと平気でウソぶく幹部もいた。
さらに、私の機動隊旅費に関する告発が、証拠もない、ただの話だったために黙殺されたのと同様、原田証言も、元最高幹部の言葉という重みはあるにせよ、証拠がなかったため、道警の全面否定を覆すのは困難に思われた。
この状況を憂い、
「原田さんのために、自分が持っている証拠を役立てたい」
と決意した人物がいた。
元弟子屈(てしかが)署次長、齋藤邦雄氏である。彼は、裏帳簿を持っていた。毎月の幹部へのヤミ手当などが記載された、まさに裏ガネづくりの証拠となるものだ。そして、それをもとに、2004年3月1日、彼自身が住民監査請求を起こした。
この手法は、私がとった告発方法と、よく似ている。警察OBが、元の職場の不正経理を検査機関に訴え出るという、警察にとっては、まさに想定外の裏切行為だ。
齋藤氏は、気のいい普通のおじさんだ。原田氏も、よく同じように言われるが、警察内部にいた私としては、両氏には「腰の軽さとどっしり感」「癒しと威圧」「ほがらかとストイック」といったような違いは、かすかに感じられる。元警視と元警視長という、階級の違いから自然と滲み出るものかもしれない。
しかし2人とも、「ぶざまにシラを切りつづける、道警のこのままの姿勢では、道民からの信頼は地に墜ちる」という焦燥感は同じだった。そして齋藤氏は、警察から再就職を世話されていた職場に辞表を出して告発に臨んだ。
齋藤氏は、私にこう語る。
「原田さんの会見に驚き、元気づけたいと思って、翌日家内と、原田さんの好物を持って、自宅に行きました。でも、そのときは『私も続きます。資料もあります』とは言えませんでした。その後何日も悶々として、とうとう決意を固めました」
齋藤氏は、原田氏を孤立させてはならないと感じていたというが、それは、単なる正義感ではなく、2人の人間関係にあった。
「原田さんと私は、もともとサイクリング仲間だったのは事実ですが、それだけではありません。彼は、本当に情の厚い方で、公私ともに、私には昔から大きな恩義が、いっぱいあるんです。そして私は、裏ガネづくりの証拠を持っています。それを使わないで、原田さんが道警に潰されたら、私は一生後悔するでしょう。原田さんと私が、示し合わせて告発したなどと言う人もいますが、1人で戦っている原田さんの姿に心をうたれた私が、自分で決心したことです」
齋藤氏の、ブツ付きの告発で、道警は、問題を旭川だけで終わらせるという目論見を完全に粉砕された。しかも、裏帳簿は1996年度から2000年度までのものであり、原田証言を攻撃するときに使われた、「すべて昔の話」という屁理屈も、通らなくなった。
そして道警は、齋藤証言のあと、それまでの「全面否定」から、「トカゲの尻尾を切って終わらせる」方向へと動き出し、ついには、不正支出したカネの一部を道に返還するに至る。まさに「北海道版・身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」といったところか。
今、齋藤氏は、原田氏が代表を務める「明るい警察を実現する全国ネットワーク」の一員として、各地で活動している。自らマイクの前に立つこともあるが、裏方の仕事も多い。私も参加した大分県でのイベント(既報〈全国市民オンブズマン大会開催〉参照)では、会場に設けられた関係書籍の販売所で、販売員もしていた。
また、この「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」が北海道の問題に及んだとき、「私にできることがあれば、協力は惜しみません」と、メールをくれた。
このような人たちの存在が、私自身の大きな支えにもなっている。告発を続けていくには、多大なエネルギーが必要であり、そのためには、告発者同士の連帯も欠かせないのだ。
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