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2005年12月26日 (月)

共謀罪を語る(6)
三宅勝久さん(ジャーナリスト)

miyake  たまに「フリーランスジャーナリストになりたい」と話す若者と出会う。そういう人たちには、三宅勝久さん(40歳)の生き様を知ってもらい、真似ができるか否か、考えてもらうことがいちばんだと思う。

 現在、三宅さんは4.5畳1部屋(家賃3万2000円)を住居としている(写真)。膨大な資料が部屋中に積み重ねられており、文字どおり足の踏み場もない。とうてい布団など敷くことはできず、寝袋にくるまり、まるで芋虫みたいに体を曲げながら寝ているという。

 1980年代末、三宅さんは大学を休学して、スペインとメキシコで1年ずつ暮らした。日本料理店でアルバイトするなどしながら、ドキュメンタリー写真を撮っていた。

 1993年3月、大学卒業。アルバイトで資金を貯め、同年末、モザンビークとアンゴラへ。どちらも、長年、内戦が続いており、前者は自衛隊がPKO(国際連合平和維持活動)で派遣されていた。前者に関する記事と写真は共同通信で、後者に関するそれらは『週刊現代』(講談社)で発表された。

 以降、日本でアルバイトして資金をつくり、生活費が安い国々で長期取材するのが、三宅さんのスタイルとなった。こうして訪れた国には、キューバ、ニカラグア、ハイチ、東ティモールなどがある。

 1997年4月、三宅さんは山陽新聞社(岡山県岡山市)に記者として就職する。たまたまインターネットで求人を見つけ、地元(三宅さんは岡山県倉敷市出身)だったことから応募したところ、採用されたのだ。

 2001年1月、三宅さんは成人式(香川県高松市)取材で新成人らから暴行され、肉体的、精神的に大きなショックを受ける(この事件は「荒れる成人式」の1つとして全国ニュースになった)。その後、三宅さんは記者職から外され、2002年3月、退社した。

 同年春、山陽新聞社時代から書き続けていた「闇金」について取材を再開する。同年秋、その原稿「債権回収屋“G” 野放しの闇金融」が第12回『週刊金曜日』ルポルタージュ大賞で優秀賞に選ばれた。

 2003年2月から三宅さんは『週刊金曜日』で消費者金融大手・武富士(東京都新宿区)に関するルポルタージュを連載しはじめる。すると、武富士は「記事が名誉毀損にあたる」として、損害賠償1億1000万円を請求する訴訟を提起してきた。

 武井保雄武富士会長(当時・以下同)は「高額の損害賠償請求訴訟を続けていれば、いずれ批判する者はいなくなる」という考えの持ち主だった。2003年だけでも、三宅さん以外に、野田敬生(のだ・ひろなり)氏(ジャーナリスト)が1748万5000円、山岡俊介氏(同)が4248万5000円、筆者が2億円の損害賠償請求を受けている。

 2003年12月、武井会長が山岡氏に対する盗聴(電気通信事業法違反)容疑で逮捕されたこともあり(2004年12月、執行猶予つきの有罪判決が確定)、これらの訴訟は武富士が完敗する。野田氏、山岡氏、筆者に対する訴訟では、武富士が審理途中で負けを認め、三宅さんに対する訴訟では、東京地方裁判所判決(2004年9月16日)、東京高等裁判所判決(2005年2月24日)、最高裁判所決定(2005年6月30日)のいずれでも、武富士の請求が棄却された。

 2005年11月、三宅さんは『武富士追及 言論弾圧裁判1000日の闘い』(リム出版新社)を上梓したが、その「まえがき」は以下のような記述から始まる。

《私は無名のフリージャーナリストである。五年間勤めた地方新聞社を辞め、上京したのが二〇〇二年の春。テレビのドキュメンタリー番組を作ったり、週刊誌にルポを書いたりしながら糊口をしのいできた。四〇歳、独身。年収三〇〇万円以下。風呂なし、共同トイレ、四畳半一間の木造アパートに暮らす。
 さえない中年男である私は、(以下略)》

 しかし、筆者には、三宅さんが「さえない中年男」などとはとても思えない。なぜなら、同年代で三宅さんほど夢や希望を失わず、仕事している人間はなかなか見かけないからだ。

───新聞記者生活はいかがでしたか。

三宅さん とにかく警察担当が嫌でした。昼間は記者クラブに閉じこもり、横書き(プレスリリース)を縦書き(新聞記事)に直すような仕事ばかり。夜は警察官の自宅を訪ね、飲んだり食べたりしながらご機嫌とり。これのどこが取材かと思っていました。

───武富士問題に取り組んだキッカケは?

三宅さん 新聞やテレビも「闇金」は取り上げるんです。だけど、最初から「闇金」でカネを借りる人などいません。「闇金」へ行く前に「消費者金融」があります。しかし、新聞やテレビは「消費者金融」は取り上げません。武富士だけでも年間150億円ぐらいの広告宣伝費を使っていますし、すぐ名誉毀損で高額の損害賠償請求訴訟を起こしてきます。アメとムチでコントロールされているわけです。そこで、自分のようなフリーランスが雑誌で取り上げなければと。

───最近は、いくつも共謀罪に関する記事を書いています。「共謀罪に反対する表現者たちの会」のメンバーでもありますし(ちなみに、同会はプロでもアマでも、「表現者」と自覚している者は、基本的に誰でもメンバーとなれる)。

三宅さん 共謀罪は「治安維持法の再来」といわれています。政府や財界にとり都合が悪い活動はバンバン取り締まられるでしょう。そのとき、弁護士もジャーナリストも、警察のような組織や武富士のような企業を批判できるのかということです。治安維持法は制定後、最高刑が死刑となるよう改正されました。現在、警察も武富士も盗聴ぐらいはしますが、人殺しまではしません。たぶん(笑)。だからこそ、弁護士やジャーナリストが戦うなら、今しかないと思います。

───日本人は、「自由」でも「権利」でも、「戦って勝ち取る」という意識はありません。

三宅さん 戦後、アメリカから与えられたものですから。私は、日本より貧しい国々で、人々がどうしようもない現実ややりきれない現実に、それでも立ち向かっている姿を見てきました。彼ら彼女らは悲しみがわかりますから、他人にも優しくできます。心の豊かさから見れば、日本人の比ではありません。

───日本では、金持ちが「勝ち組」、貧乏人が「負け組」と単純に分けられています。

三宅さん 私も新聞社で高給を得ていた時期があるからわかりますけど、「勝ち組」は常に「いつ負けるか」という不安にさいなまれています。「持っているものを失う」のが非常に怖いんです。退職後、私は4畳半1間暮らしであまり失うものがありません。それで、武富士と戦えたともいえます。貧乏人はお互い助け合いますが、金持ちはどうでしょうか。利害関係だけで、くっついたり、離れたりしています。結局、おカネに頼った生き方はもろいということです。

───今後、さらに共謀罪反対運動を盛り上げていかなければなりません。

三宅さん 世の中に大変な事件が次々と起こり、人々が身の回りのことをするのに、精一杯となっています。そこを見透かして、政府は共謀罪のような法律を持ち出してくるのです。人々がちょっと将来のことまで考えてくれるよう、表現者たちが粘り強く訴えていく必要があります。

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