身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(22)
道警追及Ⅷ
2003年秋に発覚した道警の不正経理問題が、ここまで長期化し、また、芦刈勝治道警本部長(当時)に、道議会や会見で何度も頭を下げさせたのは、北海道新聞(道新)の力によるところが大きい。
現実に道新は、2004年には、道警裏ガネ追及報道で、日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞、日本新聞協会賞、菊池寛賞、新聞労連ジャーリスト大賞を、次々に受賞した。
だが、この問題発覚の発端となったテレビ番組『ザ・スクープスペシャル』〔既報〈身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(15)道警追及Ⅰ〉参照〕が放映された直後、道新は、他紙に遅れをとっていた。
朝日と毎日は、放映翌日の朝刊全国版で、この問題を取り上げたが、道新は1日遅れた。しかも、その第1報は、番組や他紙の報道を、ほぼなぞっただけのものだった。
ちなみに、読売と産経は、初めから、この問題に腰が引けていた。のちに私が取材を受けた読売の記者は、こう言った。
「僕たちはやりたいんですけどね、どうも雰囲気が…」
朝日も毎日も、第1報のあとは、警察側の抗弁や知事の発言、議会の動きなどを淡々と伝えるだけで、追及姿勢はまるでなかった。これら、全国紙の対応が、寺澤有氏が本ブログで何度も述べている「記者クラブ」の実態なのだ。
警察を怒らせると、警察の内部情報がとれなくなる。さらに、各社のネガティブな社内問題が徹底的に調査されて、下手をすれば摘発される。記者個人の情熱とは別の「組織の論理」が、ここにもある。
しかし道新は、第1報のあと、「警察子飼いのメディア」からの脱却を図った。
「これは、警察官個人の不祥事ではなく、組織全体の問題だ。マスコミも警察一家の構成員だと読者に言われないようにするため、警察が認めた範疇での取材合戦から脱け出る契機にしよう」
道新は、原田宏二元釧路方面本部長が実名告発をした以後、氏が行くところ、全国どこへでも記者が張り付いた。仙台、博多、その他いろいろなところで、私自身が、原田氏の横にいる道新の記者に出くわした。
私が取材を受けたとき、「道新さん、頑張ってるようだけど、いろいろ大変な面もあるでしょう?」と質問してみた。すると、記者は、
「道警本部の中を歩き回っても、この件は誰もしゃべってくれないし、別の捜査情報もとれなくなった。『おまえのところは赤旗より左か』なんて毒づかれてますけどね。でも、やりますよ」
と笑顔で答えた。
そんな道新の姿勢は、道警内部の一部良心派の心をも動かした。捜査費の支出書類の中で、協力者に謝礼を渡したとして署名・捺印している捜査員は、道新に、
「確かに俺の字だが、このカネは、俺は知らない。今の段階ではこれしか言えない。ほかにも大勢かかわっているし、組織として、上が答えを出すべき問題だ」
と述べている。
署長経験を持つOBも、
「裏ガネは、ずっと前からの慣習だった。署長時代、使い道は副署長と相談し、私が月7~8万円、手当として受け取ったり、転勤の際、餞別として10万円程度もらった。同じことは全国で行われているだろう」
と語った。
齋藤邦雄元弟子屈署次長も、自ら持つ「裏帳簿」を公表すべく、まず道新と接触した。
記者は「今、表に出てください。原田さんの証言だけでは、議会は動かせません」と熱く語ったという。
齋藤氏は、以前、私に、こう話していた。
「本当は、実名は恐かった。でも、道新は本気で道警のウミを出してくれそうだったし、ちょうどその頃、道警が私を怪しみ始め、家のまわりをウロウロしだしたこともあって、実名告発を決意したんです」
氏が、この決意を記者に告げたとき、記者はこう言ったという。
「私があなたの子どもだったら、私はずっと父を誇りに思います」
この頃から、道警裏ガネ追及報道は、道新の一人旅になった。多くのスタッフと、旺盛な使命感のもと、道警の罵声や恫喝にも屈せず、数々の新事実を明らかにしていった。
そして、道新の道警追及は、裏ガネ問題にとどまらなかった。
2005年3月15日の朝刊社会面に、こんな見出しが躍った。
「覚せい剤130kg 道内流入?」「道警と函館税関『泳がせ捜査』失敗」「大麻も2トン密売か」
この記事も、道新による衝撃スクープだったが、のちに道新は、このことで大きな痛手を被ることになる。
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