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2006年2月25日 (土)

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(24)
道警追及Ⅹ

 後に、道警の「泳がせ捜査失敗」の記事を掲載するに至る、北海道新聞(道新)の取材の発端は、道警の稲葉圭昭元警部(現服役囚)が、覚せい剤や拳銃の不法所持で裁かれていた法廷での、被告自身の証言と、裁判長宛ての上申書だ。証言は、2003年2月24日のことである。

「2000年の4月か5月に、捜査協力者を使って、泳がせ捜査をしました。警察と税関との緊密な連携により、実行されました。香港から石狩新港に入る覚せい剤の2回の取引を見逃して、次に拳銃を密輸させ、それを摘発する予定でしたが、捜査は失敗し、拳銃を摘発できなかったばかりか、覚せい剤や大麻が、大量に流入してしまいました。捜査失敗の事実は関係者全員の秘密とすることで、この件は闇に葬られました」(証言と上申書の要旨)。

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2006年2月23日 (木)

第2次記者クラブ訴訟(13)
異常な光景

izumi  泉あい氏(39歳・写真)がルポライターをはじめたのは2005年1月。自身のブログ『Grip Blog~私が見た事実』だけが発表の場だ。

 とはいえ、「記者クラブの表と裏」と題する連載を見てもわかるとおり、がむしゃらに取材対象へ肉薄する姿は、久しく見たことがない、典型的なルポライターである。当然、読者もガンガン増え、反響もドシドシ寄せられた。

 2005年8月以降、衆議院議員選挙(同年9月11日投開票)取材をキッカケとして、泉氏は政治家へ肉薄する。福島瑞穂社民党党首に単独インタビューしたり、武部勤自民党幹事長や前原誠司民主党代表とブロガーらとの懇談会へ出席したりして、話題をふりまいた。いくつもの大手メディアが泉氏を記事で取り上げたほどだ。

 山岡俊介氏(ジャーナリスト)が「第2次記者クラブ訴訟」で証人として出廷した第5回口頭弁論(2005年7月20日・東京地方裁判所民事第50部)、泉氏は傍聴取材していた。翌日、泉氏は、『Grip Blog~私が見た事実』に〈記者クラブ制度を考える訴訟〉という記事を書いている。

 当時、筆者は泉氏と面識がなく、同年11月11日、「アジア記者クラブ」が主催する「『記者クラブ制度』は世界の非常識、情報カルテルだ」と題するシンポジウム(既報〈「記者クラブ問題」最先端事情〉参照)で、初めて声をかけられた。

 実は、第5回口頭弁論は開廷が遅れた。『Grip Blog~私が見た事実』記事では、こう描かれている。

《書記官が「もう少しお待ちください」と言ってからしばらくして、裁判官3人が高い所からご入場
黒いマントのような服を生まれてはじめて見ましたが、それに見とれる暇はありません
向かって右側の、まだ若いだろうと見える女性の右の鼻の穴に、ティッシュが刺さっていたからです
そんな姿で公の場に出なくてはならないなんて、同じ女性として同情します
笑ってティッシュの理由を説明することができれば、どんなにか楽だろうに…》

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2006年2月21日 (火)

第2次記者クラブ訴訟(12)
マスメディア改革は1市民がはじめられる

 インターネット新聞『JANJAN』(2006年2月17日付)に、〈寺澤有氏に聞く─「記者クラブ訴訟」判決の意味〉と題する記事が掲載された。取材と執筆は清水直子氏(フリーライター・「共謀罪に反対する表現者たちの会」メンバーでもある)。

『JANJAN』は、竹内謙氏(前鎌倉市長、元朝日新聞編集委員)らが2003年2月1日に創刊した。「すべての市民は記者である」として、「市民記者」が取材、執筆する記事を掲載する考え方は、韓国のインターネット新聞『オーマイニュース』と共通だ(既報〈日本でも『オーマイニュース』はつくれる!?〉〈『オーマイニュース』の現在と未来〉参照)。

 竹内氏は鎌倉市長時代、「記者室」を廃止して、すべてのジャーナリストが利用できる「広報メディアセンター」を新設したことで知られる。長年、何ら法律的な根拠がないまま、独占的、排他的に無償で「記者室」を利用していた記者クラブ加盟社記者らは、なすすべもなく追い出された。

 筆者は、数回、竹内氏と面談したことがあり、記者クラブ関連訴訟について、「勝つまでがんばれ」と励まされていた。

 こうして見てくると、『JANJAN』が「第2次記者クラブ訴訟」東京地方裁判所民事第50部(奥田隆文裁判長)判決を取り上げたのは当然かもしれない。

 しかし、記事から削除された部分もある。もともと、清水氏は以下のような文章で原稿を締めくくっていた。

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2006年2月19日 (日)

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(23)
道警追及Ⅸ

「覚せい剤130キロ 道内流入?」「道警と函館税関『泳がせ捜査』失敗」「大麻も2トン、密売か」

 北海道新聞(道新)は、2005年3月13日の朝刊社会面に、こんな見出しを打ち、道警が、泳がせ捜査に失敗した結果、大量の覚せい剤や大麻が、国内に入ってしまった疑いがあると報じたが、その10カ月後の今年1月14日、今度は、この件に関する謝罪記事を掲載した。

 いわく「この記事は、泳がせ捜査失敗の『疑い』を提示したものであり、道警及び函館税関の『否定』を付記しているとはいえ、記事の書き方や見出し、裏付け要素に不十分な点があり、全体として誤った印象を与える不適切な記事と判断しました。関係者と読者の皆さまにご迷惑をおかけしたことをおわびします」というものだ。

 この謝罪の背景には、「道警」と「道新」が、まるで「暴力団」と「弱みを握られた企業」というような関係になってしまったという事実があった。

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2006年2月16日 (木)

「RS-2000」(三菱電機)裁判が結審

rs-2000  2000年10月1日、筆者は埼玉県富士見市・国道254号(浦和所沢バイパス)下りに設置されている速度違反自動監視装置「RS-2000」(三菱電機・写真上)で撮影された。

 同年10月17日、埼玉県警察本部交通部交通機動隊へ出頭すると、「22時49分」に「97km/h」(法定最高速度60km/h)で走行していたとする写真(写真下)を見せられた。

 しかし、筆者は、その「RS-2000」より数百メートル手前で駐車し、携帯電話で知人と通話していた。それが開始された時刻は「22時54分」(携帯電話に残された記録から明らか)であり、約5分間、通話していたので、「RS-2000」が筆者を撮影したのは、23時過ぎとみられる。

 走行速度についても、スピードメーターで確認しているが、約85km/hだ(スピードメーターの誤差を考慮すると、実速は約82km/h)。そもそも、当時、国道254号下りは混雑しており、自車だけ「97km/h」などという突出した速度で走行することは不可能である。

 筆者は1986年に普通免許を取得して以来、現在(2006年2月16日)まで無事故・無違反を続けている(通算走行距離は35万キロメートル以上)。そのうえ、撮影時刻「22時49分」と走行速度「97km/h」が明らかに違うのだから、当然、不起訴となると確信していた。

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2006年2月15日 (水)

共謀罪修正案と「共謀罪ナイト」

 本日(2006年2月15日)19時から、トークライブハウス「ロフトプラスワン」(東京都新宿区歌舞伎町1-14-7 林ビル地下2階)で、「共謀罪ナイト」が開かれる。

 昨日、注目すべきニュースが流れた。

《与党は14日、殺人など重大犯罪の実行行為がなくても謀議に加わるだけで処罰可能な「共謀罪」新設を柱とした組織犯罪処罰法などの改正案に関する修正案をまとめ、民主党側に初提示した。適用対象を「組織的な犯罪集団に限定」することなどを条文で明確化、民主党の主張に配慮した形だ》(共同通信社)

 これがどのような意味を持つかは、政治家や法律家、マスコミ関係者が「共謀罪ナイト」で語るはずだ。いずれにしても、共謀罪がファシズムへ向かう大きな1歩であることは変わらない。

「共謀罪ナイト」はインターネットでも参加できる。生中継を見たり、掲示板に書き込んだりしたい読者は、「共謀罪に反対する表現者たちの会」まで。

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2006年2月14日 (火)

第2次記者クラブ訴訟(11)
「(記者クラブ加盟社記者を)同じ仲間とは思ってません」

 奥田隆文裁判長(東京地方裁判所民事第50部)は、「フリーランスも記者クラブに加盟させてもらえばいい」と考えているようだ。山岡俊介氏(ジャーナリスト)に対する証人尋問から見てみよう。

奥田裁判長 記者クラブに確保されている座席を、フリーのジャーナリストにも回したらどうかというような申入れなり、協議というのは、されてないですか。

山岡氏 してないですね。

奥田裁判長 それは、どうしてしないのですか。

山岡氏 司法クラブだけでどうこうの問題ではありませんので、それを言っても、断られるのが目に見えているのでということですけど。

奥田裁判長 同じ裁判の報道をする立場として、申入れぐらいはしてもいいような気もするのですが、最初から断られると考えられる理由は何ですか。

山岡氏 私ははっきり言って、語弊はありますけど、同じ仲間とは思ってませんので。つまり、本当に体を張って報道しているのがフリーで、基本的に御用というか、当局発表のものを淡々と彼らはやっているからという、そういう認識なので、かなり意見が違うというか、同じ報道の顕然たる仲間という認識は、残念ながら否定せざるを得ないものですから。

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2006年2月13日 (月)

第2次記者クラブ訴訟(10)
山岡俊介氏(ジャーナリスト)の受難

yamaokahouka  山岡俊介氏(ジャーナリスト)が「第2次記者クラブ訴訟」で証人として出廷したのが2005年7月20日。その17日前(2005年7月3日)、山岡氏の自宅マンション(東京都港区=当時)が放火されるという事件が発生している。

 事件当日、筆者も山岡氏の自宅マンションへ駆けつけたが、鉄製ドアが黒焦げとなり(写真)、居室もすすと水だらけというひどいありさまだった。

 証人尋問では、この放火事件についてもきかれた。

佃克彦弁護士(原告代理人) あなたは、今年の7月3日午前4時過ぎころ、何者かによって自宅に放火をされましたね。

山岡氏 はい。

佃弁護士 放火をされたとき、あなたは自宅にいたのですか。

山岡氏 ええ、いました。

佃弁護士 火がついていることに気付いたあなたは、どうしましたか。

山岡氏 1回は火を消そうとしたんですが、もう危なかったので、玄関が燃えて出られないし、2階のベランダからも高くて降りられないので、朝方4時ですけど、ベランダ越しに隣の部屋に移りました。その部屋は電気がついていたので、ドンドンとたたいて、火事なので入れてくれと言って、その部屋から出て逃げました。

佃弁護士 火を消そうとしたけれども、途中でやめたというのは、火が大きくて消せない状態だったということですか。

山岡氏 そうです。ガソリンみたいなものが、ものすごく燃えていたので。

佃弁護士 火は、消防署によって消してもらったのですよね。

山岡氏 そうです。

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2006年2月10日 (金)

第2次記者クラブ訴訟(9)
記者会見すら報道しない記者クラブ

yamaokakishakaiken  2005年7月20日、第5回口頭弁論で、山岡俊介氏(ジャーナリスト)に対する証人尋問が行われた。原告(筆者)側が請求し、奥田隆文裁判長(東京地方裁判所民事第50部)が「山岡さんには話を聞いてみたい」と採用したものだ。

 反訳書からポイントを抜き出していく。

佃克彦弁護士(原告代理人) 「週刊プレイボーイ」2003年6月17日号原告執筆記事部分ですが、ここの1段目から2段目にかけて、あなたが5月27日に、武富士、同社会長の武井保雄氏及び興信所の三者を電気通信事業法違反の容疑で告訴したということが報じられていますけれども、この告訴をした日、あなたは記者会見を開きましたか。

山岡氏 数日してから開いたかもしれないですけど。

佃弁護士 開きましたね。

山岡氏 はい。

佃弁護士 その場所は、どこですか。

山岡氏 日本弁護士会館の部屋です。

佃弁護士 その記者会見の呼びかけは、どこに対してしましたか。

山岡氏 司法クラブを始め、各社の社会部門とか、諸々のところですけど。

佃弁護士 その呼びかけの結果、会見にはどういう報道機関が来ましたか。

山岡氏 全国紙のテレビ、新聞、通信社が全部来まして、あとはフリーの人とか諸々100人ぐらい来ました。

佃弁護士 それで会見をした結果、今おっしゃった全国紙、全国ネットの放送局、通信社は、あなたが告訴をしたという事実を報道しましたか。

山岡氏 いいえ、1社もしてませんけども。

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2006年2月 9日 (木)

「共謀罪ナイト」開催

iwamoto  2006年2月15日19時から22時まで、トークライブハウス「ロフトプラスワン」(東京都新宿区歌舞伎町1-14-7 林ビル地下2階)で、「共謀罪に反対する表現者たちの会」(以下、「表現者たちの会」)が主催する「共謀罪ナイト」というイベントが開かれる。

「ロフトプラスワン」は1995年7月にオープンして以来、有名、無名、ジャンルを問わず、様々な表現者たちが活動する舞台である。「盗聴法」(1999年8月制定)や「個人情報保護法」(2003年5月制定)などという「表現の自由」を制限する法律が上程されると、真っ先に表現者たちが集まり、反対の声をあげた。

 当日、司会も務める「表現者たちの会」の担当者・岩本太郎氏(フリーランスライター・写真)は、こう言う。

「出演者は、政治家や法律家、マスコミ関係者、ミュージシャンと幅広く予定しています。『共謀罪に反対する表現者たちの集い』(2005年10月22日開催)以上の盛り上がりを見せたいです。今回、入場料は取らず、ツードリンク・1000円から楽しめますから、勤め帰りにちょっとのぞいてください」

 さらに、「共謀罪ナイト」は、岩本氏が参画する「OurPlanet-TV」で生中継(インターネット経由)されるというから、地方や海外の居住者も楽しめるはずだ。

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2006年2月 8日 (水)

第2次記者クラブ訴訟(8)
「稲葉事件」の判決要旨

「第2次記者クラブ訴訟」東京地方裁判所民事第50部(奥田隆文裁判長)判決は、裁判所がフリーランスへ判決要旨を交付しなくてもよいとして、以下のような理由も挙げる。

《判決要旨は、国民の関心が特に高いと考えられる事件について、判決の内容を迅速かつ正確に報道することを容易にする目的で、司法行政上の便宜供与として作成交付しているものであり、仮に対象者を限定しなかった場合には、判決要旨が、このような目的以外の事柄に利用される可能性もあり》

 しかし、「稲葉事件」の判決要旨は全文後掲(誤字等はママ)するとおり、「目的以外の事柄に利用される可能性」など、まったくないものである。

 それどころか、「判決要旨は、国民の関心が特に高いと考えられる事件について、判決の内容を迅速かつ正確に」伝えることが目的だというのだから、判決公判直後、裁判所がホームページへアップロードするべきものだ。

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2006年2月 7日 (火)

第2次記者クラブ訴訟(7)
弁護士も司法記者クラブに不満

niben 「第2次記者クラブ訴訟」提訴(2004年10月12日)後、第二東京弁護士会が発行する『二弁フロンティア』から原稿依頼があった。「記者の目」と題する連載企画に執筆してほしいというのだ。

 それまで、「記者の目」は司法記者クラブ加盟社記者らが持ち回りで執筆しており、「第14回」にしてフリーランス(筆者)が起用されることとなった。弁護士会も「記者」といえば、新聞社やテレビ局、通信社の社員しか思い浮かばなかったのであろう。

 うってつけと感じられたので、「第2次記者クラブ訴訟」について執筆した。「傍聴取材ができない!」というその1文(後掲)は、『二弁フロンティア』(2005年2月号・写真)に掲載され、弁護士数名から感想も聞いた。

 弁護士たちも司法記者クラブ加盟社記者らに不満があった。

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2006年2月 6日 (月)

カンボジアでも日本でも「表現の自由」の危機

kamimura-kumaoka-yamada  筆者は1993年にカンボジアへ行って以来〔既報〈第2次記者クラブ訴訟(2)筆者の「意見陳述書」〉参照〕、その情勢にはいつも注目してきた。

 日本はカンボジアへ9860万ドル(約117億円・2002年〈以下同〉)も援助している。アメリカ4440万ドル(約53億円)、フランス2460万ドル(約29億円)、オーストラリア2160万ドル(約26億円)、ドイツ1840万ドル(約22億円)と比べてもダントツだ。

 2006年2月4日、早稲田奉仕園会館(東京都新宿区)で、「カンボジア人権状況報告会」が開かれた。報告者は2006年1月にカンボジアを訪れた、上村未来(かみむら・みく)氏(青山学院大学・写真左)、熊岡路矢(くまおか・みちや)氏(日本国際ボランティアセンター〈JVC〉代表理事・写真中)、山田裕史(やまだ・ひろし)氏(上智大学大学院・写真右)。

 近年、ますますフン・セン首相が独裁色を強めているカンボジアで、何が起こっているのであろうか(以下、報告は発言順)。

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2006年2月 3日 (金)

第2次記者クラブ訴訟(6)
奥田隆文裁判長が筆者にきいたこと

 2005年6月8日、第4回口頭弁論で筆者に対する原告本人尋問が行われた。実は、このとき、奥田隆文裁判長(東京地方裁判所民事第50部)は、「第2次記者クラブ訴訟」が提起した問題に、鋭く迫る質問をしているのである。以下、反訳書から奥田裁判長と筆者とのやりとりをすべて引用する(誤字等はママ)。

奥田裁判長 あなたは、取材用の記者席を設けるということ自体については、どんなお考えですか。

寺澤 それ自体は、必要なことかなというふうには思いますけど。

奥田裁判長 その理由は。

寺澤 やはり法廷というのは平日昼間に開かれてるわけですから、実際見たいという関心があっても、会社休んでも行くということはなかなかできないわけで、それを、やはり我々報道機関が伝えなければならないという、義務とか責任があると思いますから、やはりそれに裁判所のほうでも協力してもらって、一応裁判所のほうでも法廷は、開かれた裁判というものを目指してらっしゃるんでしょうから、そこはそういうふうにお互い、義務とか責任とかでやってくべきではないかというふうに思ってるからです。

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2006年2月 2日 (木)

第2次記者クラブ訴訟(5)
高田昌幸氏(北海道新聞東京支社国際部編集委員)の「陳述書」

takada  高田昌幸氏(北海道新聞東京支社国際部編集委員・写真)は、2005年6月まで「北海道新聞本社編集局報道本部次長」として、『北海道新聞』が北海道警察本部の裏ガネづくりを追及する際、中心的な役割を果たしてきた。

 ところで、すでに大手メディアが報道しているが、2006年1月31日、北海道新聞社は、「道警と函館税関『泳がせ捜査』失敗」「覚せい剤130キロ 道内流入?」「2000年、石狩湾新港に」「大麻も2トン、密売か」「捜査関係者ら複数が証言」「末端価格150億円超」などと見出しをつけた2005年3月13日付の記事について、「記事の書き方や見出し、裏付け要素に不十分な点があり、全体として誤った印象を与える不適切な記事と判断しました」(2006年1月14日付・「社告」より)として、高田氏を「けん責」処分とした。

 しかし、北海道警と函館税関による「泳がせ捜査」失敗は、「第2次記者クラブ訴訟」が提起された原因の1つ、「稲葉(圭昭元北海道警警部)事件」の刑事裁判でも出てきた話であり、それを報道する記事が「不適切な記事」となるはずがない。

 これには裏がある。2005年末、『日本タブー事件史』(宝島社)が文庫化されたとき、筆者が執筆していた「警察裏ガネ疑惑は道警だけじゃない!! 告発者が知る『警察庁キャリア』の名前」という記事に、以下のような文章を追加した。

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2006年2月 1日 (水)

第2次記者クラブ訴訟(4)
ハンス・ヴァン・デル・ルフト氏(特派員)の「陳述書」

hans  ハンス・ヴァン・デル・ルフト氏(写真・FCCJ機関誌より)は、『NRC Handelsblad』(オランダの新聞)の特派員であり、「社団法人日本外国特派員協会」(FCCJ)や「在日外国報道協会」(FPIJ)の会長も務めた大変な知日家だ。

 全文後掲する「陳述書」(甲第13号証)からもわかるとおり、ハンス氏は日本のジャーナリズムの現状を憂えている。

「日本のメディアは『記者クラブ』という組織をつくり、横並びの報道を続けています。国民が本当に知りたい、知らなければいけないことは、伝えていません」

 ハンス氏は、「第2次記者クラブ訴訟」東京地方裁判所民事第50部(奥田隆文裁判長)判決が原告(筆者)敗訴と聞き、こう述べた。

「判決は日本のジャーナリズムの弱い立場を表しています。『新聞社もテレビ局も出版社もフリーランスも、裁判所に記者席や判決要旨を要求する権利はない。ただし、新聞社とテレビ局には、裁判所が“お情け”で用意してあげる』というのですから。裁判所はジャーナリズムに対するリスペクト(敬意)がありません。これには、ジャーナリズム全体が怒るべきです」

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