身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(25)
道警追及ⅩⅠ
いわゆる「稲葉事件」が発覚したのは、2002年7月5日、1人の男が覚せい剤を持って、札幌北警察署に自首してきたことによる。
渡辺司元被告(当時40歳)。彼は、自首したにもかかわらず、警察では黙秘を通し、裁判所での勾留尋問になって初めて、稲葉圭昭警部と自分の悪行を、洗いざらい告白した。
「自分は、稲葉警部に利用された。警察のS(スパイ)として、ずっと協力してきたが、稲葉警部の、覚せい剤や拳銃を調達しろという要求は激しくなる一方で、もはや耐えられない。しかも、稲葉警部は、自分で覚せい剤を使っているし、拳銃も持っている」
警察が、Sを使って提出させたり、警察自身が買い上げたりした覚せい剤や拳銃を、あたかも内偵から摘発に至ったように装って実績にしてしまう、いわゆる「やらせ捜査」を暴露したのだ。
彼は、自分の供述の内容が、警察にとっては衝撃的事実であり、警察でしゃべっても、握り潰されると考え、裁判官の前で初めて供述したらしい。
この供述に基づき、道警は、勤務中の稲葉警部の尿検査を実施し、覚せい剤の陽性反応が出たため、同年7月10日に彼を逮捕する。家宅捜索で、覚せい剤と拳銃も発見された。そして後日、彼は懲戒免職となった。
一方、組織的「やらせ捜査」疑惑には、道警はまったく答えなかった。同年11月14日の初公判、検察は冒頭陳述で、「覚せい剤は小遣い稼ぎのための密売目的、拳銃は趣味」と、すべて稲葉元警部の個人的犯罪と断じ、彼自身も、起訴事実をすんなり認めた。
しかしこのとき、彼の頭の中は大きく揺れ動いていた。自分の逮捕後、関係者が2名も自殺していたからだ。
1人は、道警の方川東城夫(かたがわ・としお)警視(当時56)。7月31日に、札幌市内の公園で、首を吊って死んでいるのを発見された。彼は、銃器対策課の指導官として、稲葉元警部の直属の上司だった時期があり、稲葉事件に関し、道警の事情聴取を受けていた。また、渡辺氏の携帯電話に、彼の電話番号が登録されていた。
2人目は、その渡辺氏。彼は、8月29日、拘置所内で首を吊った。警察の関連場所と言える場所での出来事だったこと、死の直前に前妻に宛てた手紙で、「便箋が残り少なくなったので、次にもらえるまでは、1日4枚しか使えない」と書いていること、警察が、司法解剖も行わず、早々に自殺と断定したことなどから、一時、警察関係者による謀殺説も囁かれたが、証拠は出なかった。
「方川さんは組織を守って死んだ。渡辺は警察の犠牲者だ。組織は言わないから、自分が言うしかない」
稲葉元警部は、自分が何も言わずに服役したら、この悲劇が、また繰り返されてしまうと考え、2003年2月13日の第3回公判から、証言を一変させた。自分の非は認めたうえで、覚せい剤や拳銃摘発に関して、警察が組織として行う「やらせ捜査」の実態を暴露し始めたのだ。
「銃器関係のSは、銃器対策課で名簿を作って管理している」
現実に、渡辺氏は、道警の警察官20名以上の名刺を持っていた。また、渡辺氏の結婚式に呼ばれた、稲葉元警部の上司は、そのとき撮影したインスタント写真の余白に、渡辺氏に宛てて、こう書いている。
「今後とも宜しくね~チャカ」(筆者註:「チャカ」とは「拳銃」のこと)
渡辺氏が、稲葉元警部の個人的Sでなかったことを物語る証拠だ。つまり、稲葉元警部は、自分が個人として渡辺氏を利用したのではない、上司の指示によるものだと言っている。
また、稲葉元警部は、こうも証言している。
「自分の部屋で見つかった拳銃は、おとり捜査で使おうと思っていたもので、上にも報告は出してある。暗黙の了解だ」
稲葉元警部によれば、Sから出させた拳銃を「摘発」するまでの間、捜査員が自宅や職場に、その拳銃を置いておくことはよくあるという。
そのほかにも、具体的な事件や数字を挙げて、稲葉元警部は、薬物や拳銃捜査のインチキを暴露した。その一例が、既報の「泳がせ捜査失敗」だ。
札幌地裁の判決は、2003年4月21日。地裁は、稲葉元警部の暴露に関し、検察の論告にある、
「自己を組織の犠牲者に仕立て上げることにより、刑事責任の軽減を図る弁解にすぎない」
という見解をそのまま採用し、警察組織の関与に触れることなく、同元警部に対し、懲役9年、罰金160万円の判決を下した。稲葉元警部は、
「自分が拳銃を所持していたことと、覚せい剤を密売してSの運用資金に充てていたのは事実」
として、そのまま服役した。
「やらせ捜査」の実態については、いずれ、より深く検証してみたいが、稲葉証言で、「警視庁ウラ金担当」だった私が最も興味深いのは、次の点だ。
「(拳銃を提出してくれたSに支払うために)組織から出るカネは1~2万円のレベルです。首なし拳銃(筆者註:コインロッカーなどでブツだけが見つかり、入国ルートや所有者などが捜査できない拳銃のこと)1丁1万円、複数なら3万円見当という具合。上限はせいぜい5万円です。一方、Sとの関係を維持するには、非常にカネがかかります。あるSからは、300万円の借金の保証人になってくれと言われ、それはいやだったので、自分の預金から500万円貸しました」
S自身も、「協力費」というものが、正規の予算で払われていないことは、うすうす感じているから、無理難題をふっかけてくる。Sにとっては、それが捜査員の自腹か、組織の裏ガネかは、まったく関係ない。
拳銃捜査には、国から潤沢な捜査費予算が付いているにもかかわらず、そのカネが現場には流れないで、幹部がポケットに入れている。これが現場の警察官の首を締め、悲劇を生んでいる。
稲葉事件は、1人の服役者と2人の自殺者を出して決着した。捜査とカネという問題には、まったくメスが入らなかった。このままでは、第2の稲葉、方川、渡辺が必ず生まれる。
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