2006年3月25日 (土)

初めて「RS-2000」が敗れた日

rs2000akita  1992年、「RS-2000」(三菱電機)というオービス(速度違反自動監視装置)が登場した。当時から「自分が運転していたクルマの速度より測定値が大きい」と抗議するドライバーはあとを絶たない。裁判で無罪が争われた事件もたくさんある。

 しかし、警察や検察はともかく、裁判所までもが、三菱電機が説明する「『RS-2000』は誤作動も誤測定もしない」という言葉をうのみにし、ドライバーがいくら真剣に無実を訴えても、きちんと聞いてこなかった。

 筆者も、普通免許取得(1986年)から15年間、通算走行距離25万kmを無事故、無違反で過ごしてきたが、2000年10月1日、明らかに「RS-2000」が誤作動、誤測定したケースで検挙され、2001年11月30日、起訴された。現在、第1審判決待ちである〔既報〈「RS-2000」(三菱電機)裁判が結審〉参照〕。

 そのようなところへ、2006年3月14日、史上初めて、ドライバーが「RS-2000」に勝つ判決が仙台高等裁判所秋田支部(畑中英明裁判長)で言い渡されたというニュースが飛び込んできた。

 被告は、秋田県潟上市内の「RS-2000」(写真・礼田計撮影)により、法定最高速度60km/hを32km/h超過する92km/hで走行していたとして、検挙された。「そこにオービスが設置されていることは知っていたから、92km/hも出していない」と主張したものの、第1審・秋田簡易裁判所で罰金6万円の有罪判決が言い渡され、被告が控訴していた。

 畑中裁判長は「検察官は『“RS-2000”はマイナス誤差しか生じない』と主張しているが、その客観的な裏づけはない(三菱電機がそう説明しているだけ)」とし、被告に公訴棄却の判決を言い渡した。「公訴棄却」とは「起訴自体が無効」という意味だ。

 今回、「RS-2000」にプラス誤差が存在すれば、被告は30km/h未満の速度違反だった可能性があり、その場合、「交通反則告知書」いわゆる「青キップ」で処理される軽微な違反となる(ドライバーが反則金を納付すれば、それで刑事手続きは終わる)。ところが、被告は、「交通反則告知書」を交付されることもなく、いきなり起訴されており、刑事手続きが無視されているため、公訴棄却という理屈である。

 もっとも、「RS-2000」の測定値という証拠の信用性が否定されたわけだから、実質的な無罪判決といえる。

 筆者が被告とされている裁判でも、検察官(三菱電機)は「『RS-2000』はマイナス誤差しか生じない」と主張している。

 しかし、大槻義彦早稲田大学名誉教授は「意見書」と証人尋問で、「とうていありえないこと。誤作動、誤測定があり、誤差は正規分布になる」と一蹴している。詳細は小谷洋之氏(ジャーナリスト)との共著『交通取り締まりのタブー!』(宝島社)をご覧いただきたい。

 仙台高裁秋田支部判決について、大槻教授はこうコメントする。

「科学を否定するのは『オカルト』ですが、科学を過信するのは『逆オカルト』です。どちらも科学に対する無知や無理解から来ています。『逆オカルト』もいずれ馬脚をあらわすもので、本判決はその流れの1つです」

 津谷裕貴(つや・ひろたか)弁護士(被告弁護人)と筆者とは、1991年、日本弁護士連合会が製造物責任訪欧調査団を派遣したときからのつき合いである(津谷弁護士は調査団メンバー、筆者は同行取材者)。

 津谷弁護士は開口一番、「裁判官がよかった」と言った。その中身は次のようなことだ。

「証拠といっても、三菱電機作成の取扱説明書のたぐいばかり。『マイナス誤差しか生じない』という客観的な実験データもない。そういう証拠を1つ1つ吟味し、あたりまえの判決が出た。本来、あるべき姿の裁判官だが、あまりいない」

 従前、オービスの信用性が争われた裁判では、「我が社の商品は優秀です」と宣伝するメーカーパンフレットやメーカー社員証言が証拠となり、有罪の山が築かれてきた。今後、そのようなずさんな証拠で有罪とされてきたドライバーたちが、再審請求や損害賠償請求を起こすことは間違いない。

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2006年2月16日 (木)

「RS-2000」(三菱電機)裁判が結審

rs-2000  2000年10月1日、筆者は埼玉県富士見市・国道254号(浦和所沢バイパス)下りに設置されている速度違反自動監視装置「RS-2000」(三菱電機・写真上)で撮影された。

 同年10月17日、埼玉県警察本部交通部交通機動隊へ出頭すると、「22時49分」に「97km/h」(法定最高速度60km/h)で走行していたとする写真(写真下)を見せられた。

 しかし、筆者は、その「RS-2000」より数百メートル手前で駐車し、携帯電話で知人と通話していた。それが開始された時刻は「22時54分」(携帯電話に残された記録から明らか)であり、約5分間、通話していたので、「RS-2000」が筆者を撮影したのは、23時過ぎとみられる。

 走行速度についても、スピードメーターで確認しているが、約85km/hだ(スピードメーターの誤差を考慮すると、実速は約82km/h)。そもそも、当時、国道254号下りは混雑しており、自車だけ「97km/h」などという突出した速度で走行することは不可能である。

 筆者は1986年に普通免許を取得して以来、現在(2006年2月16日)まで無事故・無違反を続けている(通算走行距離は35万キロメートル以上)。そのうえ、撮影時刻「22時49分」と走行速度「97km/h」が明らかに違うのだから、当然、不起訴となると確信していた。

 しかし、流行りの「国策捜査」と表現してもいいかもしれないが、2001年11月30日、筆者はさいたま地方裁判所川越支部に起訴された。仮に「97km/h」で走行していたのが事実だとしても、通常、「37km/h」の速度超過でいちいち正式裁判などしない。

「RS-2000」は1992年に登場したが、その当時から「撮影時刻」や「走行速度」が事実と違うとして、裁判で争われる事例がたくさんある。しかし、「RS-2000」に関する限り、無罪判決は1つもない。

 長年、筆者は交通取り締まりについて取材してきた。「RS-2000」を含む速度測定装置のいい加減さもよく知っている。

 そこで、正式裁判では、徹底的に争った。警察官の証人尋問3回、三菱電機社員の証人尋問3回を経て、「秘密兵器」ともいえる大槻義彦早稲田大学名誉教授の「意見書」も提出した。後日、大槻教授は証人として出廷もしている。

 大槻教授は「意見書」と証人尋問で、「『RS-2000』は科学技術的な検証がされていないオカルト装置」と断言した。

 以上の経緯は小谷洋之氏(ジャーナリスト)との共著『交通取り締まりのタブー!』(宝島社)に詳しい。

 その後、検察も澤谷邦男東北大学大学院教授の「鑑定書」と証人尋問で巻き返そうとしたが、同教授も「『RS-2000』がいつも完全に動くということはありえない」と認めざるをえなかった。

 2006年2月8日、第23回公判で、被告人質問および論告・求刑(検察側)、最終弁論(弁護側)が行われ、結審した。初公判(2002年2月5日)からまるまる4年も経っていた。

 南雲良夫検事は筆者に「罰金10万円」という最高速度違反の罰金の最高刑を求刑した。「37km/h」の速度超過で公判請求(正式裁判が開かれるよう起訴)しただけでも異常なのに、最高刑を求刑するというのはさらに異常だ。問わず語りに、「国策捜査」を認めたといってもいいであろう。

 判決は2006年4月25日13時30分から言い渡される。

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